校歌について
論文をプリントアウトしているとき、プリンターが遅くて、暇だったのでサーフィンしてたら、富士高のHPを見つけ、入り込んだところ、校歌が聴けるようになっていました。早速聞いてみたところ、びっくりしました。
何がって?
校歌の編曲。
昔のままだったから。(HPから聞ける編曲には、当時ものとは若干の変更が施されているのは分かります。バス進行その他。また当時は20人程度の小編成で、ティンパニや弦バスみたいな洒落たものはなかった。ホルンなんて夢だった)
この編曲は、昭和39年の体育祭のために編曲したものです。つまりこの編曲による初演は昭和39年の体育祭の当日です(何月何日かは調べてください)。
この編曲ではじめて校歌を歌ったとき(つまり体育祭の開会式のときですが)生徒も先生もみんなちょっとびっくりしてました。それまでの校歌の伴奏は、まともな楽譜すらなく、メロディーを吹くパートと、ズンチャ、ズンチャとリズムを受け持つパートだけで、コードも正しいのか正しくないのか、わけが分からないものでした(だいたい野球応援用のブラバンでしたから、それで通っていたらしい)。ただ序奏のメロディーだけはすでにそのとき出来ていて(誰が作曲したのかは不明)、なかなか魅力的なメロディでしたから、これを利用しつつ、全曲にわたってしっかりした和声と、バス進行、中音域進行をつけることで、まともに音楽として聞ける校歌にしようとして編曲しました。ただ、小編成の悲しさで、オーケストレーションには苦労しましたし、初演後も、団員からいろいろと注文をつけられて、そのパート譜を変更したりで、最初のスコアとは違う形になってしまっています。多分、そのパート譜が伝承されていて、その後どなたかが再編整理されたのが、今のものなのだろうとかんがえています。最初の編曲のスコアは存在しています。長くなるのでこれでおしまい。
<追伸>
このスコアについては見直し見て思い出しましたが、何回か練習した結果、パートによっては演奏は無理だということがわかり(つまり下手だったわけで)そのパート譜を簡単なものに書き換えて演奏しました。
その後も、だんだんいろんなパートを簡単な方へ、簡単な方へと書き換えていったような覚えがあります。
スコア自体は僕の手元にあったわけですから、いろいろ書き換えたパート譜だけが学校に残っていて、それも分散しちゃったということでしょうね。
ついでながら、このスコアには、当時富士高に存在していなかった楽器のパートも書いてありますが、これは当時の夢の反映で、それらのパートがなくても一応演奏は可能になっています。
(2003.05.11)
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