昭和33年度 東京タワー完成、イカス、団地族、有楽町で逢いましょう
昭和34年度 天皇、皇后両陛下ご成婚、がめつい、南国土佐を後にして
昭和35年度 国民所得倍増計画閣議決定、声なき声、潮来笠
昭和36年度 田子ノ浦港開港、地球は青かった、上を向いて歩こう、王将
昭和37年度 富士山頂帰属裁判で浅間神社勝訴、青田買い、いつでも夢を
昭和38年度 ケネディ大統領暗殺、カギッ子、ハッスル、高校三年生
昭和39年度 東京オリンピック、ウルトラC、東洋の魔女、夜明けのうた
昭和40年度 いざなぎ景気、しごき、柔
昭和41年度 富士市誕生、ゴマすり、交通戦争、星影のワルツ、悲しい酒
昭和42年度 ミニスカート、ハプニング、世界は二人のために
昭和43年度 東名高速道路開通、ハレンチ、港町ブルース
昭和44年度 アポロ11号月面着陸、あっと驚くタメゴロー、新宿の女
昭和45年度 大阪万国博覧会、ハイジャック、悪ノリ、走れコータロー
昭和46年度 朝霧高原で世界ジャンボリー、脱サラ、また逢う日まで
昭和47年度 札幌オリンピック、日の丸飛行隊、恍惚の人、瀬戸の花嫁

昭和33年度

 当時、富士地区の中学校でも、吹奏楽部が活動していたのは数校だったが、中でも吉原一中出身者が中心となり、「賑やかし」半分に富嶽祭の体育の部でマーチ数曲を演奏したところ、当時の校長先生の理解もあってPTAなどの協力を仰ぎ、楽器を若干数購入して同好会としてスタート。
 そして、7月某日、当時の1、2年生を中心に野球部応援バンドとして活動開始。我が富士高吹奏楽部が産声をあげた瞬間である。デビュー演奏はもちろん高校野球県予選大会のスタジアム。楽器も楽譜もまだほとんどなく、校歌とファンファーレが数少ないレパートリーだったバンドの記念すべき第一歩だった。

(H11.01.02)新年会に出席された発足当時の1年生、佐藤和也氏(昭和35年度卒)から伺いました。

 佐藤和也氏からメールを頂戴しました。その中で、富士高吹奏楽部の「始まりの始まり」について語って下さいました。今後も継続的に、興味深い歴史の数々を披露して頂けると思います。期待しましょう。
 物語の始まり、その時は、昭和30年代前半、日本全体が「戦後」から「未来」へ歩み始めた激動の時代です・・・。
       第 1 章  (2001.01.14)
       第 2 章  (2001.01.17)
       第 3 章  (2001.01.20)

 ※ 本文中、タイトル表記等、編集担当者の独断で一部校正、脚色している部分もあります。佐藤氏の本来の意図と食い違う場合もあるかも知れませんが、何卒ご了承下さい。 m(_"_)m


昭和34年度
ブラバン草創期の想い出
 部活動の「掛け持ち」は基本的に出来ませんでしたが、同好会などとの「二足の草鞋」は認められていました。 ブラバンが同好会から部に昇格した頃、吹奏楽部に専念するに当たって、部員一人一人に色々とドラマがあったようです。 昭和35年卒の鈴木匡(まさし)さんから、Eメールで情報提供して頂きましたので、ご紹介させていただきます。

昭和35年度


昭和36年度


昭和37年度


昭和38年度


昭和39年度

富士高の校歌伴奏に関する情報提供 (2003.04.15)

校歌について
論文をプリントアウトしているとき、プリンターが遅くて、暇だったのでサーフィンしてたら、富士高のHPを見つけ、入り込んだところ、校歌が聴けるようになっていました。早速聞いてみたところ、びっくりしました。
何がって?
校歌の編曲。
昔のままだったから。(HPから聞ける編曲には、当時ものとは若干の変更が施されているのは分かります。バス進行その他。また当時は20人程度の小編成で、ティンパニや弦バスみたいな洒落たものはなかった。ホルンなんて夢だった)
この編曲は、昭和39年の体育祭のために編曲したものです。つまりこの編曲による初演は昭和39年の体育祭の当日です(何月何日かは調べてください)。
この編曲ではじめて校歌を歌ったとき(つまり体育祭の開会式のときですが)生徒も先生もみんなちょっとびっくりしてました。それまでの校歌の伴奏は、まともな楽譜すらなく、メロディーを吹くパートと、ズンチャ、ズンチャとリズムを受け持つパートだけで、コードも正しいのか正しくないのか、わけが分からないものでした(だいたい野球応援用のブラバンでしたから、それで通っていたらしい)。ただ序奏のメロディーだけはすでにそのとき出来ていて(誰が作曲したのかは不明)、なかなか魅力的なメロディでしたから、これを利用しつつ、全曲にわたってしっかりした和声と、バス進行、中音域進行をつけることで、まともに音楽として聞ける校歌にしようとして編曲しました。ただ、小編成の悲しさで、オーケストレーションには苦労しましたし、初演後も、団員からいろいろと注文をつけられて、そのパート譜を変更したりで、最初のスコアとは違う形になってしまっています。多分、そのパート譜が伝承されていて、その後どなたかが再編整理されたのが、今のものなのだろうとかんがえています。最初の編曲のスコアは存在しています。長くなるのでこれでおしまい。

<追伸>
 このスコアについては見直し見て思い出しましたが、何回か練習した結果、パートによっては演奏は無理だということがわかり(つまり下手だったわけで)そのパート譜を簡単なものに書き換えて演奏しました。
その後も、だんだんいろんなパートを簡単な方へ、簡単な方へと書き換えていったような覚えがあります。
 スコア自体は僕の手元にあったわけですから、いろいろ書き換えたパート譜だけが学校に残っていて、それも分散しちゃったということでしょうね。
 ついでながら、このスコアには、当時富士高に存在していなかった楽器のパートも書いてありますが、これは当時の夢の反映で、それらのパートがなくても一応演奏は可能になっています。 (2003.05.11)

 

筑波大学哲学・思想学系 堀池信夫(高18回)

富士高のホームページを閲覧された堀池さんから、富士高吹奏楽部(現役)HPのBBSに情報提供がありましたので、原文のままご紹介させて頂きます。
諸事情により当時の譜面等が風化?してしまい、平成10年頃(すいません、あくまで推定です)以降、ブラバンの校歌演奏は原型を留めておらず、平成14年に宮川氏の手によってリメイクされたそうです。
恐らく堀池氏のバージョンは、歴代の部員に(あたかも伝統芸能の如く)継承され、ほぼ形を変えないまま30年以上も演奏され続けていたと思われます。実は、当時のスコアや演奏の録音を探したり、譜面を復刻しようとする動きは、一部OBの間で近年あったのですが、今回、堀池氏からのBBSへの投稿、またメールでのご連絡により、埋もれていた当時の出来事など貴重な情報も知り得る機会に恵まれました。大変嬉しく思っております。

さらに!!
当時のスコアを送っていただきました!
こちらに置きましたので、是非皆さんご覧になって下さい。


昭和40年度


昭和41年度


昭和42年度


昭和43年度


昭和44年度


昭和45年度


昭和46年度


昭和47年度

第16回富嶽祭
  富士高体操ブラバンバージョンが初めて披露される。

 この年、新生活館建設に伴いブラスバンド練習場が青雲寮に移転される。 この歴史的事件こそが、長きに亘る青雲寮時代の幕開けであった。この後、 青雲寮は我々吹奏楽部のいわば「梁山泊」として、元禄の世をも彷彿とさせる 享楽に満ちた時代の舞台となっていく。この閉ざされた異次元空間こそが、 かくも特異なブラバン文化を育てる温床の役割を担ったことは言うまでもない・・・。


皆さんが活躍された世代の情報をお寄せください。

恒例行事や出来事、演奏会の曲目など何でも結構です。

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