ブラバンOBの縁側日記
かつて青雲寮に棲息した物の怪たち、そのドタバタ騒動の回顧録

おもなぎBBS 過去ログ   2001.01.30 〜 2001.04.27

 

Sugiyama Brothers ?
部史編纂室長 4/27(金) 23:28:25 No.omonagi-20010427224710
> 場所はどっかの遊園地(ハイランドor日本ランドかな)雨が降ったりしてお弁当は屋内の宴会場(ステージでなんかのきぐるみショーがあったと思う)で食べました。
> もちろん空いたステージで定番のお祭り騒ぎをやったわけです。
> ほかのお客さんからもやんやの喝采を浴び(阿鼻?)盛り上がりました。

これは、日本ランドでした。
雨が降ってましたが、むちゃくちゃ楽しかったです。遊園地だけど、遊具の記憶はほとんどありません。バスの中でのバカ騒ぎと、屋内ステージの記憶が大半です。
「着ぐるみ」は「天才バカボンショー」、そして、「杉山兄弟シャボン玉ショー」というのと2本立て(あんまり強烈な取り合わせなんで、いまだに覚えている)のアトラクション。GWですから、特別だったのだろうと思います。
相手が仮面ライダーやウルトラマン、或いは戦隊モノだったらどうだったか分かりませんが、観客のウケ的には、私たちの方が「掴んで」いたと思います。

ペーソスでんなぁ
部史編纂室長 4/27(金) 22:43:35 No.omonagi-20010427222418
> 私は部長だったので、当時の顧問の先生と一緒にバスまで歩いたのですが、その先生がポツリと言ったんです。
> 「さすがだな、100人からの学生をよく1日まとめられるな。俺は40人でもつらいよ」
> でもね、まとめてたんじゃないんだよね。まとまってたんだよね。
> 仲間に入りたかったんじゃないのかな。先生も確かまだ20代だったと思う。

・・・ちょっといい話ですね。
当時のブラバンの恐ろしさは、まさにそれ。何故か分からない「まとまり」がありました。
あの時、顧問の先生って同行してましたっけ?・・・怖いことに、記憶にない。(^^;;
それにしても、(今だから思えるかも知れませんが)顧問も大変だったでしょうね。30代も後半になって、少しも大人になれない自分を振り返ると、20代で「先生」にならなければならない、というのは信じられないこと。かといって、友達や兄貴として「あそこ」に溶け込むのは、いささか難しかったかもなぁ。

入部したけど
おそばやさん@電気で動くのよ 4/26(木) 20:10:16 No.omonagi-20010426194606
ちょうどこの時期ですよね、あの、なんと言うかあれ、ほら、遠足。
今でも思い出すと信じられないと言うか、夢の向こうがわにあって現実感が無いんですよ。
あの盛り上がり方は異常ですよね。素面だし。(当たり前か)
個々のエピソードは室長の方が詳しいと思いますが、一番印象に残ったことをひとつだけ。

場所はどっかの遊園地(ハイランドor日本ランドかな)雨が降ったりしてお弁当は屋内の宴会場(ステージでなんかのきぐるみショーがあったと思う)で食べました。
もちろん空いたステージで定番のお祭り騒ぎをやったわけです。
ほかのお客さんからもやんやの喝采を浴び(阿鼻?)盛り上がりました。

いよいよ帰る時間になり、バスに乗るため皆で歩き出しました。
私は部長だったので、当時の顧問の先生と一緒にバスまで歩いたのですが、その先生がポツリと言ったんです。
「さすがだな、100人からの学生をよく1日まとめられるな。俺は40人でもつらいよ」
でもね、まとめてたんじゃないんだよね。まとまってたんだよね。
仲間に入りたかったんじゃないのかな。先生も確かまだ20代だったと思う。

潜入! 春のドッキリ大作戦!
部史編纂室長 4/25(水) 21:32:11 No.omonagi-20010425213136
大勢のニューフェイスが青雲寮を訪れる春は、同時に、イタズラの季節でもありました。バッジや学年章を取り替えたりして新入生を混乱させるのは最も初歩的なもの。
そばやさん曰く「理屈っぽい次代部長」こと、私の同期の「N」は、卒業後しばらくの空白時間を、その独特のコンパクトな体躯を生かして「新1年生」として過ごしたという、超グレートな伝説を持つ男です。(^^)

富士市内の中学生男子がまだ坊主頭だった当時、彼は元吉原中学出身者と偽り、クラリネットの新1年生として仮入部し、毎日の部活に通いました。そして、経験者と初心者が半々の新入部員の中で、リードをピーピーと吹く基礎練習から一緒に始めたのです。彼の持ち前の演技力もあり、不思議なほど新入部員に溶け込んでいたのですが、周りの2・3年生が自然に振る舞えず苦労したそうです。
冗談や悪ふざけなど仲間として会話が弾み、新入生としての日々は本人も楽しかったようですが、そもそも青雲寮ならまだしも学校内で全く会わない訳で、「どのクラス?とか、誰と一緒?」とかいう話になれば、徐々に綻びが出てくるのは当然のこと。
それでも10日以上も和気あいあいと過ごしながら、騙し通せるのにも限界を迎え、いよいよ予備校も始まる時期になり、ある日の練習後のミーティング(青雲寮で「2階に上がって下さーい」っていうアレ)の最後、「OB紹介」のコーナーで、遂にカミングアウトすることになりました。
部長が「それじゃ、OB紹介でーす」と言っても、その日、OBは不在。怪訝そうな顔をする1年生の輪の中から歩み出た「N」が、「実は・・・」と事情を説明し始めました。そして、同期生である自分とも「今日でお別れ」であることを告げました。
当時のブラバンは、最近の高校生と違って上下関係が結構ハッキリしていたので、3つも年上の先輩に「タメ口」叩きまくりだった新入部員たちは皆ひどく驚き、中にはショックで泣き出してしまう娘もいたほどだったそうです。
この時の面白すぎるエピソードは、とても一度に紹介しきれないほど多く、私が知る限り、この事件以上に大がかりで、ハマったイタズラはなかったと思っていますが、大成功に終わった「ドッキリ」に安心したのは、むしろ上級生たちだったようです。なんせ、その間、彼らは先輩の「N」を下級生として扱い、呼び捨てにし、他の1年生と同様に指導しなければならず、かなり神経をすり減らしていたのだそうです。

それにしても、ホント思い出すのは、こんなバカな話ばかり。なんなんでしょうね。F高ブラバンって・・・。

アセンブリー
部史編纂室長 4/25(水) 20:34:56 No.omonagi-20010425203423
大学の新学期というのは、4月16日〜18日頃に始まりましたから、大学生は比較的(とゆーか超)暇でしたよね。・・・んで、私、実はOB2年目の時にアセンブリーに出演したことがあります。(^^;;;
当時とにかくスゲー暇だったんで定演の前後から、ほとんど毎日練習に通ってたんですよね。それで、春休み中ならまだしも新年度が始まっちゃったので、現役時代の学ラン引っぱり出してきて、それ着て学校内を我が物顔に歩き回ってたりしてたんです。そしたら、2コ下の後輩(当時の新3年生)が「先輩、アセンブリー出ちゃいません?・・・吹いちゃいましょうよ」とか言うんで、調子こいて出ちゃったんですよね。
曲は確か、前年のコンクールの自由曲「キャンディード序曲」と、ポップスか何かを演奏したように記憶(かなり微妙)しております。
私も含め、3年生になって富嶽祭で正式に引退しながら、その後もズルズルと青雲寮に通い、コンクールも、更には定演にも出た、という人は結構いると思いますが、卒業してからアセンブリーに出たって言う人は少ないでしょ?(って、おいおい、それは自慢になるのか?)

おもろいやないかあ
おそばやさん@電気で動くのよ 4/23(月) 23:48:38 No.omonagi-20010423233056
初めてきました。

私がブラバンに入ったきっかけ・・・。ずばり「小坊主さん」でしょう。
アセンブリーでお硬いはずの「富士高」があんなにハチャメチャだったんですから。
勢いで青雲寮に連れ込まれて一応ラッパ希望だったのですが、経験者を含め5人以上の確定メンバーがいて、他パートを見学させられました。
そのとき「やっぱ、やめっかな」と思ったんですが、宮原さんのクラリネットを聞いて、入っちゃったのが運の尽きですね。

翌年、坊主頭の妙に理屈っぽいやつが青雲寮に現れて、「こいつは絶対入んないぜ!!」と思ってたら、次代部長だったりする。

解んないもんです。

レス
熱心小坊主 4/18(水) 11:48:29 No.omonagi-20010418112626
部史編纂室長> そして、一番記憶に残っているアホアホな作戦は、以前ちょっと触れたことのある青雲寮の備品「白衣」を使ったもの。
部史編纂室長> 校内で各部の見学をしている新入生の一団に、白衣を着て生物部員に扮した部員が話しかけ、かなり強引に生物部に勧誘します。その押しの強さが1年生たちが嫌悪感を抱くレベルに達したのを確認して、ちょいと爽やか系の部員が現れ「そのくらいにしておけよ、迷惑そうじゃないか」と救いの手を差し伸べます。興が乗ると「何だと、てめぇ。やるってのか?」とか言って大立ち回り、つまり時代劇にありがちの展開も見せたりします。
部史編纂室長> 偽生物部が退散すると、去り際に(白い歯をキラリと光らせながら)「良かったらブラバンの見学にも来てね」と言い残して去る。という田舎芝居を本当にやりました。入部した部員が後日、いつぞや校内で絡まれた生物部員が楽器を吹いている姿に当惑したのは言うまでもありません。
部史編纂室長> ・・・ホント、バカみたい。


うはははは。
面白い。
わたくしの頃はここまではやらなかったぞ。
「君、柔道部に入らないか? 何? 運動部はイヤだぁ? んじゃ、ブラバン入れ!」
くらいの可愛いものだったですなあ。

柔道はイヤだけど、運動部に入りたい、ってヤツには
「ブラバンは運動にも力を入れてます!」みたいなキャッチで押したり。

父兄の間では、「ブラバンに入ると勉強ができなくなる」などという
ウソだかホントだかわからないような話がまことしやかに伝わっていますが、
「東大生を二人も輩出!(私の知る限り)」ってことをアッピールしましょう。

現実的には、やはりアセンブリあたりの演奏が鍵になりそうですけどね。

新入生勧誘大作戦
部史編纂室長 4/17(火) 19:42:51 No.omonagi-20010417194154
春ですね。春になると、桜の花舞い落ちる「雲梯の木の下」で、ぬい先輩に説教されたことや、もう少し時期が経つと青雲寮の裏のどぶ川に、田んぼから流れてくる水草、蛙の声、校内に立ち込める若葉の香りが、妙にイカ臭かったこととか、思い出されます。

さて、新入生の誘拐・・・じゃなくて勧誘ですが、これまた色々と工夫をしましたね。中庭でゲリラ?アンサンブル、校内をコスプレ・チ○ド○屋で闊歩、経験者の所へ直接アプローチ、などは極めて真っ当なやり方。
私と一緒に入った奴なんぞは、可愛い女子の先輩の色香にコロリといったクチでした。

そして、一番記憶に残っているアホアホな作戦は、以前ちょっと触れたことのある青雲寮の備品「白衣」を使ったもの。
校内で各部の見学をしている新入生の一団に、白衣を着て生物部員に扮した部員が話しかけ、かなり強引に生物部に勧誘します。その押しの強さが1年生たちが嫌悪感を抱くレベルに達したのを確認して、ちょいと爽やか系の部員が現れ「そのくらいにしておけよ、迷惑そうじゃないか」と救いの手を差し伸べます。興が乗ると「何だと、てめぇ。やるってのか?」とか言って大立ち回り、つまり時代劇にありがちの展開も見せたりします。
偽生物部が退散すると、去り際に(白い歯をキラリと光らせながら)「良かったらブラバンの見学にも来てね」と言い残して去る。という田舎芝居を本当にやりました。入部した部員が後日、いつぞや校内で絡まれた生物部員が楽器を吹いている姿に当惑したのは言うまでもありません。
・・・ホント、バカみたい。

胸躍る新学期!
今をこの世の春と覚えむ 4/13(金) 01:23:56 No.omonagi-20010413005418
 突然の訪問、ご無礼仕る。
 いや、しかしもう新学期でございますなぁ。其処此処に、初々しい新入生の群!<ブレザー>に<ネクチィー>とくれば、たった2週間ほど前までは中学生だったと思えん程の変わり様、女子なんてぇきた日にゃぁ、その変容目覚ましってなもんです。そこいくと富士高生は、相も変わらずガクラン着込んで、好感持っちゃったりするのはアタシだけでしょうかねぇ?
 と言うわけで、新学期の思い出なんかは皆さんいかがでしょうか?オリエンテーション・アセンブリー・新歓遠足などなど。ッあッそうそう、先輩方のキッツーイ入部勧誘も忘れちゃぁいけませんよね。アタシも思い出して書き込もうと思います。それでは、今日のところはこれまで。さらばでござるっ!シュタッ!!!

ごめんなさい
ソプラノサックスのH 4/3(火) 13:26:32 No.omonagi-20010403131246
ごめんなさい。
第二回定演の「アッピア街道の松」で失敗したソプラノサックスのHです。
でも、ご指摘いただいた失敗内容はちょっと事実と異なります。
あれは1小節ではなくて、1拍早く終わってしまったのです。
おそらくK氏は最初のうちは気がついていなかったと思います。
中低音が入って元に戻った様に聞こえましたが、実は、一番困ったのはパーカッションの人でしょう。
何せ、頭打ちがいつのまにか裏打ちになってしまったのですから・・・

覚えてるよ〜
くろこぶ 3/22(木) 18:08:29 No.omonagi-20010322175901
熱心小坊主> ただ、第2回の「アッピア街道の松」で、ソプラノサックスのソロが1小節(?)早く
熱心小坊主> 入ってしまったのは、覚えてるよ〜。
熱心小坊主> 聴いてる人はおそらく気がつかなかっただろうけど。
熱心小坊主> (実は私も、演奏中には気がつかなかった。棒を振っていたK氏は、果たして気がついたのだろうか?)

気がつかないわけがない。かなりビビリました。
H氏が1小節はやくというより、1小節のところを2小節分ふいてしまったと記憶しております。
おそらく困った顔をしてみんなの顔を見ていたんでしょう。

でもそのあとの中低音パートの入りで(多分皆これをきっかけにしていたと思う)
なんとか元に戻ったときはホッとしました。

熱心小坊主> 第2回は、部員数が多すぎたのかどうかわからないけど、全体を二つに分けて、第2部を演りましたね。(バンドを二つ作って交互に演奏。)
熱心小坊主> 今考えると、あれは何だったのだろう? 誰が言い出したんだ?

う〜ん、誰でしょう?(俺か?)
曲調にあわせたような気がする。
でもドラムソロは長かった・・・

色々あって、25回目。
部史編纂室長 3/22(木) 17:13:47 No.omonagi-20010322171308
定期演奏会も、重ね重ねて遂に第25回ですか。早いもんですなぁ。
・・・てか、その初期を経験している私の年齢を再確認してしまいますが。(^^;;;

現在と同様、3月末という天候の不安定な時期に開催している関係で、毎年「定演は雨に祟られる」みたいなセオリー?が当時はありました。
つたない演奏ではありましたが、当時の定演は、富士文化センターの1000人強の座席がほとんど埋まり、立ち見が出るような状況で、それでも私達には、客足が遠のく事への恐れを漠然と感じており、事あるごとにそうした議論が交わされたものです。当然、自主運営でしたので、練習はもちろん、ステージ運営の段取り、その他諸々の準備に日々、寝食を忘れて取り組んでいたと思います。

第4回の定期演奏会も、ご多聞に漏れず、やはり雨が降っていました。
1000人が持参した雨傘のケア。当日になって私たちは焦りました。
当時としては傘袋なんて、そう簡単には入手できません。
思案の末に富士駅周辺の大型店、ヨーカドーとパピーに、手分けしてダッシュ。
入り口に設置してある傘袋をまとめてゲットしようと目論んだ訳です。
ヨーカドーの入り口では、確か水産品などの店頭販売が行われており、そこのオヤッさん達に「これ、貰ってもいいっすかね?」と聞いたら「いいんじゃねーの?」とテキトーな答えが返ってきて、易々と入手。
しかし、パピーには案内嬢のオネー様方がおり「困ります」とのこと。そこで、私たちは作戦会議。
面の割れていないN氏(現:腹黒さん)が初めて来たような顔して再びフロントに交渉。
案の定難航している所にタイミングを見計らって、傘袋の束を抱えた私が息を切らして駆け込み、
私:「おーい、ヨーカドーはオッケーだって! こんなに沢山もらえたよ!」
腹黒:「あ、そう! ヨーカドー、貰えたんだ。良かった。助かるね。」
私:「で・・・(チラリと案内嬢を見ながら)・・・あ、ダメなの?」
腹黒:「うーん。・・・(俯きがちにチラリと案内嬢の顔色を窺う)」
その瞬間、明らかに顔色の変わった案内嬢は受話器を取り、内線でどこかに連絡をしました。
そして数分後、私たちはヨーカドーでくすねてきた傘袋と、それよりも大量の、パピーから頂戴した傘袋を抱え、開場前の富士文化センターに向かっていたのです。大漁旗でも掲げて帰りたい気分でした。
その日の公演で、来場者全てに傘袋が行き渡ったことは言うまでもありません。

21年も前のことで今更ながらとは思いますが、、、
イトーヨーカドーさん、(オジさんに断ったとは言え)傘袋パクってごめんなさい。
パピーさん、本当にありがとうございました。
そして今後とも地域文化の振興発展に深いご理解と厚いご支援を、何卒宜しくお願い申し上げます。・・・。

定演
熱心小坊主 3/21(水) 11:34:11 No.omonagi-20010321111839
24日は定演ですね。
定演の思い出など、聞きたいですね。

私は第1回〜3回まで出演しましたが、なんか思い出あるかなあ。
あんまり記憶に残っていないけど・・・。

ただ、第2回の「アッピア街道の松」で、ソプラノサックスのソロが1小節(?)早く
入ってしまったのは、覚えてるよ〜。
聴いてる人はおそらく気がつかなかっただろうけど。
(実は私も、演奏中には気がつかなかった。棒を振っていたK氏は、果たして気がついたのだろうか?)

第2回は、部員数が多すぎたのかどうかわからないけど、全体を二つに分けて、第2部を演りましたね。(バンドを二つ作って交互に演奏。)
今考えると、あれは何だったのだろう? 誰が言い出したんだ?

でも、あのころ部員はやたらと多かった。
数えてみたら、第2回定演のクラリネットパートは、Bbクラだけで21名!

私の時は・・・
怠惰教師 3/8(木) 00:20:08 No.omonagi-20010308001641
集団面接では3人の先生方が座っておられたと思います。たぶん、真ん中が、3人の中で一番偉かったのでは?
でも一番偉そうにしていたのは堀内先生でした。

個人面接では私の相手は現国の植松先生でした。どんな本が心に残っているか聞かれ、私が「大地です」と答えると、植松先生、「大地か・・・。」と言ったきり上を向き、2〜3分沈黙の時間が流れたのを今も覚えています。

確かに
部史編纂室長 3/7(水) 22:33:04 No.omonagi-20010307222732
熱心小坊主> チャリンコで行ったのというのは、どうだろ?
熱心小坊主> 入試にチャリンコ乗ってっていいのかい?
熱心小坊主> 私は行きは覚えてないけど、帰りは歩きでした。
熱心小坊主> 潤井川の土手を歩いてかえった覚えがある。

うーん。そう言われれば確かに、違ったかも知れない。
歩いて行ったような記憶もかすかにある・・・。
このように、人間の記憶なんて、なかんずく私という人間なんて、
いいかげんなものなんですね。ははは。(^^;;;

当時と今とで、決定的に違うものって、チャリンコや徒歩の距離感。
よくよく思い返すと、ガキの頃って、今では考えられないほど
とんでもない距離を歩いてたりしてました。今じゃー無理、無理。

面接のこと
熱心小坊主 3/7(水) 21:35:35 No.omonagi-20010307211150
部史編纂室長> 私の出身中学は、比較的会場(富士高)から近いので、皆で一緒に
部史編纂室長> チャリンコで行ったと思います。特に事件はありませんでしたね。

チャリンコで行ったのというのは、どうだろ?
入試にチャリンコ乗ってっていいのかい?
私は行きは覚えてないけど、帰りは歩きでした。
潤井川の土手を歩いてかえった覚えがある。

それから、面接のことをちょっと思い出しました。
数学の堀内先生(タイガー・ジェット・シン似。)から
「君はどんな本を読むのかね?」とか聞かれて、正直に
「えっと、推理小説とか・・・」と答えたことろ、
「ほう。どんな作家が好きなんだい?」とさらに聞かれ、
ここで、私は困りました。

ミステリが好きだったのは確かなんですが、当時読んでいたのは欧米もの。
特に、ディクスン・カーを愛読していたんですが、
(カーです。と言っても、この親爺にはわかんないだろうな??)
と瞬間的に思ってしまった訳ですね。

(ここはやはり、森村誠一とかを挙げるべきか? イヤ、この親爺の年代からして
松本清張か? いっそのこと江戸川乱歩と答えようか???)
いろいろ考えて落としどころを探ったあげく、結局「横溝正史とか・・・」
と答えました。

そしたら、堀内先生、「横溝正史ぃ? へっ!」と小馬鹿にしたような態度。
そんなもの、ミステリと呼べるか、ってな態度。
これはちょっと、頭きたぜ。
あなたのためを思って考えた答えなんだよ〜。
ホントはそんなもの読んでないんだよ〜。

なんせ20数年前
部史編纂室長 3/5(月) 20:54:17 No.omonagi-20010305205324
どうもです。・・・入試ねぇ。全然覚えてませんね、これがまた。

私たちの年は、富士東高が開校する時で、(記憶が不確かですが)
富士東高の受験者も富士高で入学試験を受けたように思います。
両校の受験生が大挙して一緒に会場入りしたのではなかったかな。
私の出身中学は、比較的会場(富士高)から近いので、皆で一緒に
チャリンコで行ったと思います。特に事件はありませんでしたね。

面接って、事前にリハーサルとか結構やらされるじゃないですか。
大抵、出身中学の所在地を説明させられるのですが、我が校の場合
「東名富士インターから北西へ700mほどの位置にあります。」
というシナリオがあったんですね。私たちは全員判で押したように
これを言いましたが、実はこの「東名富士ICから北西へ700m」
というのは、当時「サーチライトが貴方を招く」で一世を風靡し、
富士山南麓にUFOが飛んでる!と全国に名を馳せた「ホテル・リオ」
の立て看板に書かれてた案内説明と、まるっきり一緒だったのです。
まぁ実際に、このモーテルと学校は全く隣接していたんですけどね。
学校の東隣からリオが消滅して既に久しい訳ですが、その後、今度は
西隣に、これまた悪名高き宗教団体「法の○三○行」が出現したのは
周知の通りです。今更ながら、我が母校って・・・。(--;;;
(ちょっと話がリスキーだったかなぁ。でも事実だからネェ・・・)

富士高入試
熱心小坊主 3/5(月) 17:29:02 No.omonagi-20010305165225

今日は富士高の入学試験らしいですね。
入試の失敗談や思い出等、だれかありませんか?
面接で、とっちらかったとか、社会の窓が開いていたとか。

私は・・・全然覚えていない。

小坊主さんて・・・
怠惰教師 2/24(土) 03:46:49 No.omonagi-20010224034254
詩人なんですね・・・。僕の中の小坊主さんのイメージは富岳祭のステージでの、

「おい、照明!」

だったんですが・・・。

それから富士高体操といえば、新規採用者研修の折、ラジオ体操をやらされまして、富士高出身者の多くはラジオ体操と富士高体操がごちゃまぜになった、不思議な体操をやっていた記憶があります。

富嶽祭前夜
熱心小坊主 2/17(土) 14:59:25 No.omonagi-20010217145115
「ウナギを食ってたんだよ。」・・・彼はその時確かにそう言った・・・。

五月の夕方の風というのは、変な香りがするとは思いませんか?
淋しいような、切ないような。
それは・・・・・・・。

「え? いや別に。 特に理由はないけど。」

富嶽祭の前、三年生は、一種独特の変な気分になります。
青雲寮に行っても、なんか楽器が手につかない。
二年生は富嶽祭の準備に忙しくて相手にしてくれないし、かといって三年生同士はなぜか無口。
しかたなく、入学したての一年生をからかったりしてみますが、それにもすぐに飽きて、窓の外を眺めてため息をついたりします。

「うん。一人で。 学校帰りに。」

練習が終わって、辺りが暗くなっても、なんだか家に帰りたくありません。
他の三年生の様子を横目でチラチラ窺ったりしています。
そのうち、一人、二人、と言葉少なに挨拶を交わして帰っていきます。
しかたなく家路きますが、足取りは重いです。

「だってさ、なんか家に帰りたくないじゃん。」

私は、富嶽祭の数日前、人恋しくなって同期の友人に電話をしました。
ところが、とっくに家についているはずの彼は留守でした。
まだ学校から帰っていないということでした。
次の日、彼に、何処に行っていたのかと聞きました。
彼は答えました。「ウナギを食ってたんだよ。」と・・・。

高校生が学校帰りに一人で鰻屋で鰻を食べる。
当時としては、普通では考えられる状況ではありません。
でも、私には解りました。

「だってさ、ほんとはずっとみんなと一緒にいたいじゃん。」


五月の風のにおいを感じると、私はいつも友人のこの言葉を思い出します。
二十年以上たった今でも、鮮やかに思い出します。

富士高体操と言えば(無理矢理)
部史編纂室長(管理人) 2/14(水) 22:59:37 No.omonagi-20010214225427
私が入学した年の富嶽祭、学校側と生徒会?とが何か妙にもめてて、鈍い私は、いまいち意味が分からなかったんですが、色々とあった訳ですね。因果関係は良く分かりませんが、少なくとも体育祭が年々、付け足しの「おまけ」みたいになっていったことは確かでしたね。
 >・・・・それでいいのか? 富士高体操!  
の意味が良く分かりませんが(笑)「富嶽祭と富士高体操」と言えば、ちょっと思い出したことがあるので書きます。

ブラバンの富士高体操は間違いなく無茶苦茶だったけど、そもそもオリジナルだって、あの振り付けと言い、体育祭でのあの光景といい「変」そのものでした。1つ下の代のM・Sさんが投稿した雑誌(ビックリハウスだったかなぁ?)に写真ごと掲載され、全国の人の失笑を買ったこともありましたよね。
さて、その富士高体操ですが、入学間もない1年生が僅かな期間で振り付け?を体得し、人前で披露するために、体育の授業ではかなりのスパルタで叩き込まれたように記憶しています。
同時開催の1つの弊害と言えるのかどうか、我がブラバンの1年生は、入部以後、生まれて初めて出会ったあの奇妙奇天烈な体操を、ほぼ同時に3つの振り付けで覚え込まされていく、という大きな重荷を背負っていました。
つまり体育の授業で教えられる「富士高体操の原型」と、跡形もなく原型を破壊し尽くされた「ブラバンのオリジナル」(これは基礎トレーニングであると同時に、新入部員歓迎バス遠足での発表のために仕込まれました)、そして彼らにとっての初舞台、富嶽祭土曜日に発表される「その代のバージョン」の3つです。
当然、たった2ヶ月の間に同時進行するレッスンに、混乱する者も少なくはありませんでした。体育の授業では、振り付けを間違えると罰として腕立て伏せや兎跳びなどを科せられることも多かったのですが、単に振り付けを忘れて失敗する他の生徒たちとは異なり、明らかに異質な動きを堂々としてしまい、周囲の爆笑の中、罰を受けるブラバン部員が妙に多かったのも、思えば当たり前の成り行きだったのかも知れません。
我が代の渡辺伸司くんなどは、他の生徒達からも拍手喝采を浴び、そのエンターテイナーぶりを発揮していましたが、もしも富士高体操の「殿堂」があるとしたら、彼は間違いなく「20世紀の7人(仮称)」かなんかに選ばれることでしょう。
あれ?・・・感動巨編のはずだったんだけど・・・。(・_・)ゞ

ブラボー!
部史編纂室長(管理人) 2/14(水) 22:06:58 No.omonagi-20010214220340
熱心小坊主様、風前の灯火と、その存続も危ぶまれた(大袈裟)このBBSに、精力的な書き込み、ありがとうございます。m(_"_)m
しかも後の方なんか、むちゃくちゃ感動巨編じゃないですか。(T-T)ジーン
楽譜読めない話なんて、まるきり一緒でしたね。私も書きました。ドとかレとか。inB♭なのにね。(^^;;;
このレスは、まさに「舞台は魔物」であることを物語るエピソードですね。よーし、この熱意に応えて、私も「感動巨編の一つも」書いちゃうぞー!?

アンサンブルコンテストの思い出
熱心小坊主 2/14(水) 19:46:56 No.omonagi-20010214190602
私は高校入学まで、音楽に縁がなかった。
ブラバンに入り、クラリネットを始めたのはいいが、楽譜が読めない。
仕方なく、音符の下にカタカナで「ド」とか「ミ」とか書いていた。(小学生並み)
青雲寮に行っても遊んでばかりいて、真面目に楽器の練習をしていなかったので、半年経っても楽譜が読めない状態はほとんど変わっていなかった。

ところが、ある冬の日突然、楽譜が「読める」ようになった。
というか、楽譜と指が連動するようになった。頭で考えなくとも勝手に指が動いてくれるようになった。
すると不思議なもので、音も良くなり、テクニックも上達した。

そんな頃、アンサンブルコンテストがあった。
1年生だけのクラ五重奏。(たしかモーツアルトのメヌエット。)
トップを任され、それなりの自信もあった。

当日、会場の吉原市民会館の前の公園で、最後の練習をした。
が、私の身体は緊張でガタガタと震え、とても音が出せる状態ではなかった。
皆が「大丈夫?」と心配してくれたが、ぜんぜん大丈夫ではなかった。吐き気すらした。
なにせ、観客の前で楽器を吹くのは始めてであるし、ちょっと前までは楽譜も読めない素人だったのだから。

そんな状態のまま、ステージに上がった。
顔面蒼白、呼吸は異常に浅く、身体の震えは止まらない。
自分一人ならともかく、そのままでは他のメンバーに迷惑をかけるのは必至だった。
しかし、無情にも曲はスタートした。

最初の音を出した瞬間、スッと身体の力が抜けた。
我ながら、素晴らしい音色だった。
誰にも負けないような音色だった。私は朗々と吹いた。
もはや観客や審査員は眼中になく、音楽だけが頭の中に鳴っていた。

曲の最後、全音符で終わり。
その音を吹こうとした瞬間、観客席が眼に飛び込んできた。
おそらく、楽譜を見る必要がなくなって、頭をちょっと上げたせいだろう。
すると、私の身体はビクッと硬直し、とたんに息が出なくなった。
何とか音を出し続けたものの、最後の音はかすかに震え、とぎれとぎれだった。
舞台の袖に引っ込んだ時には、立っているのもやっとなくらいだった。
あんなに身体が震えたのは、後にも先にもあの始めてのアンサンブルコンテストの時だけである。

この年、我が富士高吹奏楽部クラリネットパートは、アンサンブルコンテストに於いて
二つの金賞を受賞した。その内一つは一年生の五重奏であった。

文化、体育両部同時開催についての考察
熱心小坊主 2/14(水) 12:03:41 No.omonagi-20010214113627
現在、富嶽祭の文化の部、体育の部は同時期に行われているが、かつては、体育の部は秋に行われていたことを知っている人は、ここにどれだけおられるだろうか?

本来秋に行うべき運動会を6月に行うというのは、私が高校1年生の時にむりやり決行された愚行である。それ以前にも、試験的に同時開催をしたことがあったらしいが、生徒からの反対が凄かったと聞いている。
私の時にも、富嶽祭が終わったあと、ホームルームの時間に先生が全校的にアンケートを採った。「同時開催は是か非か」と。

私をはじめ、ブラバンの部員は猛烈に反対した。
自分たちの演奏のための練習時間が十分に取れなくなってしまうからである。
ただ、他の部の生徒は、案外にしらけていた。どっちでもいい、という感じであった。
かくして、翌年以降も同時開催されることに決定してしまった。
そして、体育の部は平日に行われるようになり、父兄や地域の人もほとんど見に来ない存在になってしまった。

・・・・それでいいのか? 富士高体操!

かすれた記憶
部史編纂室長(管理人) 2/10(土) 10:37:05 No.omonagi-20010210102557
なかなかレスが入りませんネェ。(^^;;;
やっぱ、ちょっと二月祭ってのが、レア過ぎましたかねぇ。
(冷静に考えたら、そうだよな。自分もほとんど記憶ないもん・・・)

この時期は(別に時期にこだわる訳じゃないんだけど)定期演奏会に向けて
全てが回っていて、よく考えたら二月祭って、その「ついで」だったり、
息抜きだったりしたような記憶もあります。
他の行事で言うと、アンサンブルコンテストなんか、この頃だったでしょうか。
12月中か、1月に入ってからか、部内でアンサンブル大会をやりましたよね。
これが、ある意味「予選」だったのかな。違ったかもな。覚えてないけど。

お題が悪すぎたかも知れませんが(笑)皆さん何か書いて下さ〜い。(懇願)

もも色のメモリー
部史編纂室長(管理者) 2/2(金) 23:58:13 No.omonagi-20010202234911
前評判ばかり先行し、その内容の充実ぶり故に、アップが遅れておりました、「もも」さんこと宮川氏の投稿作品(3部作)が、ついに発表されました。
って、私が風邪引いて、その膨大な原稿の編集、校正に取り掛かる気力が出なかった、ってゆーことなんですけどね。・・・自分一人だけ、先に楽しんでしまってごめんなさい。m(_"_)m
という訳で、こちらから、どうぞ。

受験対策ですかね
部史編纂室長(管理者) 2/2(金) 20:01:18 No.omonagi-20010202195403
一月にやっても二月祭とは、これいかに。
てか、この学校は、昔から受験関連の都合でスケジュールが良く変わりますからねぇ。イベント名に月数が入っているのが運の尽き?ってことでしょうか。(我ながら意味分かんないけど(^^;;)

うおお。2月祭って今は・・・。
熱心小坊主 2/2(金) 17:09:37 No.omonagi-20010202170655
富士高の公式ページ見たら、2月祭はあることはあるけど、何故か1月の行事になってる。
http://www.shizuoka-c.ed.jp/fuji-h/events.htm をご覧あれ。

これじゃ、「1月祭」じゃん。

しかし
熱心小坊主 2/2(金) 17:04:26 No.omonagi-20010202165601
(添付1) 20010202170251.1.jpg
しかし、2月祭って何なんだろうね。
位置づけがよくわからん。

3学期にイベントがないから、とりあえずやっとけ、みたいな感じ?
主催は、学校なんでしょうか、生徒なんでしょうか?

だれか、事情を知っている人がいたら教えてください。

話は違いますが、写真のテストをしてみました。
写真自体には意味はありません。

記憶の糸を紡いでみれば…
集会所用務員 2/1(木) 23:50:28 No.omonagi-20010201232510
 トップページの最新情報に「新掲示板」と書かれていました。それは「新加勢大周」とかと似たようなものでしょうか?と、ご挨拶はこの程度にしておいて、

熱心小坊主> ウチの代では、堀野さんと植田さんがナマ足むき出しのホットパンツ(死語)で踊っていた。

私が入部したのは、2年の春でした。
無意識のうちに入部の動機となっていたのでしょうか?

部史編纂室長(管理者)> 私が2年生の時には、同じ代のTpの木村早登美ちゃんとTbの鈴木美香ちゃんがダンサーで、ピンクレディーの「カメレオンアーミー」を踊りましたが、何を隠そう、私が振り付け指導(土居甫か?)を担当しました。みんな結構ノリノリだったと思います。

さて、おみやげです。
うちのほんとうのマスターが言うには、ダンサーは、早登美さんと松島さんだったようです。衣装の、ピンクのサテン地のスカートなどは「木村とし洋装デザインオフィス」が下請けしていたとのことです。そのデザインオフィスは今でも健在です。受注もしているようです。

ピンクは定番
部史編纂室長(管理者) 2/1(木) 17:02:17 No.omonagi-20010201164849
早速のご協力、感謝いたします。 >熱心小坊主 殿

 > ウチの代では、堀野さんと植田さんがナマ足むき出しのホットパンツ(死語)で踊っていた。

UFOか、サウスポーか定かではありませんが、どちらかでしたよね。
新入生歓迎バス遠足の時に踊っていただいたような記憶が・・・。

 > 北校舎と南校舎を結ぶ渡りトンネル?の所にしばらくその写真が張り出してあった。

物凄いこと、してましたね。それってアリなんですか?

 > 男どもは、しばしその写真の前でたたずんだあと、何故か腰を引き気味の姿勢で去っていった。
 > #いきなりこんなので良かったのかな?>室長。

最後のは「作り」でしょ?・・・もう、ズルいなぁ。(^^;;;
このBBS、かなりルールが厳しいようですけど、たぶんセーフだと思います。

ピンクレディー
熱心小坊主 2/1(木) 16:32:19 No.omonagi-20010201162225
ちっす。小坊主です。
2番手はやはり私しかいないでしょう。ということで出てきました。

2月祭・・・。 んーと。 くぅ〜。 えっっと・・・。
全然覚えてない! そんなものあったっけ?ってな感じですね。

で、室長の書き込みのピンクレディで何となく思い出したんだけど、
ウチの代では、堀野さんと植田さんがナマ足むき出しのホットパンツ(死語)で踊っていた。
北校舎と南校舎を結ぶ渡りトンネル?の所にしばらくその写真が張り出してあった。
男どもは、しばしその写真の前でたたずんだあと、何故か腰を引き気味の姿勢で去っていった。

#いきなりこんなので良かったのかな?>室長。
#トップページに入口作っておきました〜。

2月祭と言えば・・・
部史編纂室長(管理者) 2/1(木) 13:49:02 No.omonagi-20010201134758
言い出しっぺなので、責任持って書きます。
2月祭って、なんか中途半端な時期に行われて、一体何のためにあるのか良く分かりにくい(存在感の薄い)イベントでしたけど、あれって「プチ富嶽祭」的な位置付けだったのかなぁ。(曖昧)
私、個人的には、2年生の時に、クラスに実行委員がいて、プログラムの表紙を描かされたことがあります。(これがまた下手くそ)
講堂のステージ発表?では、有志バンドやハモバン等のステージがあり、もちろんブラバンも演奏していましたが、ノリ的には、ほとんど受け狙いオンリーで、オリジナル1曲に、ポップス2曲くらいの、ちょうど当時のフェスティバル的なプログラムを組んでいたと記憶しています。
ポップスでは、恒例で大体は「ダンシングナンバー」が選曲され、当時は、ピンクレディーの曲などを振り付け完全コピーで演奏し、結構ウケていたように思います。私が2年生の時には、同じ代のTpの木村早登美ちゃんとTbの鈴木美香ちゃんがダンサーで、ピンクレディーの「カメレオンアーミー」を踊りましたが、何を隠そう、私が振り付け指導(土居甫か?)を担当しました。みんな結構ノリノリだったと思います。

ということで、とりあえず口火を切らして頂いたので、あとは若い人同士・・・って、これはお見合いか!?・・・んじゃ俺は世話人さんか!?

オープニング企画?
部史編纂室長(管理者) 2/1(木) 13:45:47 No.omonagi-20010201134209
と言う訳で、本日から華々しく?グランドオープン(大袈裟・・・)を飾った次第ですが、かといって、なかなかすぐに話が弾むというものでもないでしょうし。合コンと同じで?盛り上げ役の1人や2人、または「○○ゲーム!」とか盛り上がりアイテムでもないと、現実は厳しい訳で・・・。

思案の末、笑点の大喜利じゃないけど「お題」と言うか、「今月のテーマ」みたいなものを設ければ、話も出易く、また色々なことが思い出し易くなるのではないかと・・・。

んで、早速(勝手にポンポン話を進めてますが、何卒ご容赦あれ)今月のテーマですけど、やはり2月ですから、「2月祭」なんてのは、どうでしょう。
これ良いんじゃない? 今までほとんど語られてませんし、レアな所で。
よし決めた、発表します。今月のテーマは「2月祭」です。皆様の投稿をお待ちしております。(もちろん、テーマ以外でも結構ですよ。)

ところで、このページ、画像も貼り込めます。100kb以下の画像なら、最高4枚まで添付できますので、遠慮なくどうぞ。(ただし、アイコラとか公序良俗に反する物は、どうかご勘弁を)

Virtual青雲寮開設3周年記念
部史編纂室長(管理者) 1/30(火) 20:17:15 No.omonagi-20010130200604
historyコーナーのコンテンツ補完計画に基づき、特設掲示板を新たにスタートします。

かつて富士高ブラバンのテーマソングと呼ばれた曲があります。
GS(ワイルドワンズ)の名曲「想い出の渚」がそれで、様々な逸話と共に、数十年に亘って歌い継がれた曲の一つです。
青雲寮世代に限らず、富士高吹奏楽部で青春の1ページ、大事な一時を過ごした人たちは、皆それぞれに心に残るエピソードを持っていると思います。
このBBSは、それを聞かせて頂くために運営されています。
メールや郵便、オフ会とも併せ、当BBSへ気軽に投稿していただく事が出来ますので、これまで以上に皆さんの積極的な情報提供を切にお願い致します。

 

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