第12回(1988.JAN.1)大会ポスター

元旦サッカーの歴史
戦士たちの休息 1986.JAN.1

「初蹴り」という行事があります。サッカーの盛んな静岡県では、清水東や 清水商業をはじめ高校サッカー名門校のほとんどが、(選手権大会に出場しない年は)現役、OB(Jリーガーも含め)総動員で元旦にサッカーをしています。

しかし、富士高ブラバンは言うまでもなく吹奏楽部で、勿論れっきとした 文化部のはしくれな訳なんですが、静岡県はおろか日本広しと言えども、文化部の恒例行事として「元旦サッカー」なるものを24年間も継続している連中が、一体何処にいるでしょうか・・・。
「ここにいるんです!」

 ブラバンだったら「初吹き」とか「奏で初め」とか、普通そうでしょ? そんなんでいいんですか?
「いいんです!」  「だって俺たち富士高ブラバンだもん!」

なんか、これだけでも「ブラバンイズム」のようなものが朧ろ気に見えてきませんか?


第23回(1998.JAN.1)集合写真

日の出とともに・・・
〜Kick off !! at rise of sun〜

青雲寮におけるブラバン文化が花開いた昭和50年代。まさにブラバンルネッサンスとも 呼ぶべきこの時代に「元旦サッカー」も産ぶ声を上げています。

毎日毎日、練習後のソフトボール、サッカー、水泳、卓球に明け暮れていた当時の部員達が、 それらに飽き足りなくなって昭和51年1月1日、遂に無人の富士高グラウンドで朝っぱらから サッカーやっちゃう、という暴挙に出てしまったのです。

休憩時間のお楽しみ、炊き出し隊も活躍

どうして元旦でなければならなかったのか? 何故サッカーだったのか? これらは今となっては 全てが謎。当時の首謀者たちの弁を聞くより他に真相を知る手だてはありません。

毎年回数を追う毎に、試合形式やルールも徐々に変遷を辿っていますが、 基本的には夜明け前からサッカーを始め、ハーフタイムに初日の出を拝み (注:イスラム教徒のアラー神への祈りの姿を想像して下さい・・・)後半戦に突入。 約2時間ハーフのVゴール(当時はサドンデス)方式という、 Jリーグも真っ青の超ハードなルールが採用されていました。 名門「ワコールブラジャーズ」対「グンゼパンティーズ」の定期戦は、 毎年ブラバンダービーとして盛り上がりました。

第16回(1992.JAN.1)大会ポスター

基本的にはOB対現役の対抗戦だったため、 負けず嫌いのOBが勝つまではタイムアップの笛が鳴ることはなく、 勝つためには手段を選ばずルールが書き換えられていったのです。

その代表的な例が「約分ルール」で、これは、例えばOBチームが6対3で劣勢の時、 約分ルールの適用により2対1に換算されるというものです。 これはあくまでOBが劣勢の時だけで、逆のケースはありえません。 何故ならOBそのものがルールブックであり、 OBが勝つためだけにルールがあったからなのです。

こんな大会ですから、節目の年に盛り上がらないはずがありません。 10周年記念大会の時に、初めてポスターによる事前告知を行い、「燃え尽きるまでRUN!」をテーマに開催した第61回全国高校サッカー選手権大会で、時の名監督勝沢要氏(元富士高サッカー部顧問)の標榜する「サッカーは格闘技だ!」をキャッチフレーズに三羽がらすを中心とした圧倒的な戦力で初優勝した、清水東高のレプリカユニフォーム(1番上の写真を参照) を作って臨み、高校サッカーテーマ曲「振り向くな君は美しい」をエンドレスで流し、ハーフタイムにはザ・バーズのダンスをマスターしてハーフタイムショーを・・・。と、聞くだけで「こいつらアホか!」と言いたくなる馬鹿騒ぎぶりでありました。

第22回(1998.JAN.1)大会ポスター

何度も繰り返すようですが、これは元旦早々の夜が明けるかどうかの時間のことです。 職員住宅から起き出してきた青木先生(当時のサッカー部顧問)は、 暫く腕組みをしながらこのトンチキ野郎共を見て、叱り付けるかと思いきや、 ウンウンと深くうなづきながら帰っていきました・・・。思えば大らかで良い時代でした。

青雲寮があったからこそ存在し得たと言っても過言ではない「元旦サッカー」ではありますが、 青雲寮なき今も尚、河川敷などに転々と所を移したジプシー開催ながらも継続しています。 ワールドカップ開催年であった98年も蒲原町営グラウンドで開催。 「くぷどぅもんど」公認球である「トリコロール」を使用し、 バーベキューも楽しみながらの楽しい大会でした。結果は勿論、OBチームの勝利。 ただし、約分ルールは使用しませんでしたけど・・・。

青雲寮喪失により失われた多くの大切なものの中にあっても、 数少ない生きた遺産として残されているこの伝統行事の灯が、 どうか末永く灯り続けていくことを切に願わずにはいられません・・・。

※ 平成11年1月2日の新年会席上において、当時のメンバー諸氏の証言により、第1回大会が、それまでの定説であった昭和52年元旦より1年前の、昭和51年であったことが確認されました。よって、1999年大会は第24回、2000年1月1日には第25回大会の開催となります。最近10数年間の回数表示のズレ等、ご了承いただくと共に、今後の大会について正式呼称にて訂正させていただきます。


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